1980年代~1990年代に活動していた伝説のパンクロックバンド、「ブルーハーツ」。その中でギターとして活躍していた真島さんは、ソロ「真島昌利」としても活動していた。
ソロ「真島昌利」としても「ブルーハーツ」としても、数々の名曲を世に出してきた真島さんの言葉を、現役大学生の立場から見ていく。
もくじ
真島昌利の歌詞から見る名言【ラインを越えて編】
「ラインを越えて」は真島さんのギラギラと嘆き訴えるような言葉を感じることのできる代表的な曲の1つだ。
甲本ヒロトさんのブルースハープが響き渡る中で、真島さんの言葉が聞き手の胸に突き刺さる。
それはギラギラとした針だが、どこか悲しみを含んでいる。
そして曲の最後には、まるで嵐が去った後のような余韻まで感じさせてくれる。
「ラインを越えて」、それは今の若い人とはまた違った、当時の若者ならではのギラギラ感を感じることのできる1曲だと僕は思う。
色んな事をあきらめて 言い訳ばっかりうまくなり 責任逃れで笑ってりゃ 自由はどんどん遠ざかる
これはこの曲の冒頭にある言葉だ。
冒頭からかなりいきなり訴えはじめているが、これは後半の「僕がオモチャの戦車で~」に続いていく導入部のようにも感じる。
僕はまだ生まれてから約20年しかたっていないが、小、中、高、大学と進んでいくにつれ、あきらめてきたことは多くある。誰しも自分の能力やその場の環境、または自分ではその責任は負えないと感たことを言い訳にし、あきらめたことがあるだろう。
しかしそうすることは、自分自身で自分の自由を狭めていることになっているんだということを、導入部分からいきなり胸に突き刺してくれる。
ジョニーは戦場へ行った 僕はどこへ行くんだろ?
実は僕はこの言葉を聴いたとき、ジョニーとは実際に存在していたモデルがいるのではないかと思い、調べたことがある。その結果1つの小説にたどり着いた。
それは「ジョニーは戦場へ行った」(原作者ドルトン・トランボ)だ。
まさか真島さんの曲から過去の興味深い小説を知り、それを読むことができるとは思ってもいなっかた。
これは古い歌を聴くことによる副産物のように感じた。
その作品を読んでから再び「ラインを越えて」を聴くと、曲の後半部分の言葉がさらに味わい深くなる。
僕はラインを越えて 確かめたい事があるよ
真島さんが具体的にどのことについてラインを越えて確かめたかったのかは、僕にははっきりとは分からない。もしかしたら、この言葉の前に言及しているベトナム戦争のことなのかもしれない。もしかしたら、当時のうやむやになっている事柄すべてかもしれない。
しかし僕が生まれてからも戦争や内戦、事件や問題はたくさん起きてきたし、今も起きている。その中でうやむやな感じで話題から消えていった事柄もある。
ラインを越えることは、恐怖を感じながらも真実を確かめることだ。その真実に絶望するかもしれない、その真実を確かめようとして自分が消されるかもしれない。そんな恐怖があっても確かめたい、その思いを言葉にして歌うことに、ギラギラと嘆き訴える感じがする。
まとめ
この曲も含めって真島さんの曲は内容が濃い。今回書かせていただいたのは3つの言葉についてだが、書こうと思ったら正直、全部の言葉について書くことができる。
この「ラインを越えて」を聴くと、当時の世界(僕がまだ生まれていない世界)に少し浸っているように感じる。当時の世界の情景や熱が、少し見えてくるように感じる。古い曲を聴くことは、自分の知らない時代を感じる1つの方法かもしれない。