1980年代~1990年代に活動していた伝説のパンクロックバンド、「ブルーハーツ」。その中でギターとして活躍していた真島さんは、ソロ「真島昌利」としても活動していた。
ソロ「真島昌利」としても「ブルーハーツ」としても、数々の名曲を世に出してきた真島さんの言葉を、現役大学生の立場から見ていく。
もくじ
真島昌利の歌詞から見る名言【~青空~編】
「青空」は基本的には甲本ヒロトさんが歌う曲だが、この曲の作詞作曲は真島さんだ。
ブルーハーツの中では穏やかな曲の内のひとつで、僕がブルーハーツで最初に好きになった曲でもある。
渋く悲しいメロディーが流れる中で、真島さんの言葉がヒロトさんの心から歌われる。
ヒロトさんが歌うことによってその言葉は、温かさと悲しさが融合した形で、聴き手の心に響いていく。
さらにその言葉は、自由や平等について訴えるような内容であるため、余計に心の奥底まで響かせてくれる。
まだアパルトヘイトがあった時代に、日本人が歌った自由や平等は、現代の自由や平等とはまた違った感覚を感じることができる。
ブラウン管の向こう側
これはこの曲の最初の言葉だ。
このひと言で、一気に当時の世界に引き込まれるような感覚に陥る。
当時の人はそのような感覚に陥らなかったかもしれないが、現在の立場からこの言葉を聴くと、当時の世界に引き込まれてしまう。
これはこの曲ができて数十年後の今だからこそ味わえる、特権かもしれない。
いったいこの僕の何がわかるというのだろう
この曲を聴いて、最初に注目してしまう言葉はこの部分だろう。
当時を知らない僕からすると、当時差別されていた人達の自由や平等についての訴えを、真島さんが代弁しているようにも感じる。
またヒロトさんの温かい悲しみの歌声でこの部分を歌われると、胸が苦しくなるほどグッと締め付けられる。
運転手さんそのバスに 僕も乗っけてくれないか 行き先ならどこでもいい こんなはずじゃなかっただろ? 歴史が僕を問いつめる まぶしいほど青い空の真下で
私はこの言葉は、多数に流せれてしまう自分の不甲斐なさを述べているように感じた。
「運転手さんそのバスに僕も乗っけてくれないか 行き先ならどこでもいい」これはよくないと分かっていても、皆と同じ行動をしてしまう。それがどこに行こうが、とりあえず皆に流される。そんな思いを感じた。
またそれに対して歴史が問い詰めてくる。「こんなはずじゃなかっただろ?」、お前は流されようとするつもりはなかっただろと。
そして最後に「まぶしいほど 青い空の真下で」と書かれている。太陽がまぶしいのではなく、まぶしいほどの青い空と表現している。これは心の奥底にある自分の正義なのか、それともまだ自分が青かった時代に強く思っていた心(それは良くないという気持ち)に、照らされていることを表しているのかもしれない。
そのまぶしさを感じながら、流されてしまう自分への不甲斐なさを感じる。
今までこのような感覚を感じた人は、少なくないだろう。
僕も少しずつこのような感覚を感じはじめている。
まとめ
この「青空」は自由や平等を、ただきれいに訴えていない。
そこに何か自分の弱さや悲しさ、そして泥臭さのようなものが含まれているように感じる。そしてそれが一層言葉に力や味を出している。
それはおそらく、ブルーハーツだからこそできる表現方法なのだろう。
今のアーティスト達にもそれぞれいろいろな特徴があり、異なった世界観を持っている。
様々な世界観を感じるためには、古いアーティスト達の曲も聴く必要がありそうだ。