【嵐デビュー秘話】低迷期を乗り越えたトップまでの道のり!本当は嫌だったメンバーがいた?

嵐デビュー秘話

ジャニーズアイドルのなかで人気絶頂のまま一時休止を発表した嵐。

1999年9月15日にハワイでデビュー会見を行った嵐ですが、デビュー当時の様子、低迷期、結成当時デビューしたくなかったメンバーがいた話など、嵐のデビュー秘話に迫ります。

1999年ハワイにて嵐デビュー。

ハワイ。ホノルル沖の船上で、ジャニーズの記者会見が開かれました。新しいグループの誕生です。カメラが一斉に駆け寄る中心には、5人の少年が立っていました。

順に自己紹介をし、掲げられた旗には、漢字一文字で大きく、「嵐」と書かれています。当時、グループ名では横文字が主流だった中で、漢字一文字というのは大きな挑戦です。

「世界中に嵐を巻き起こす」

「日本語で読むと、嵐の”あ”は、あいうえお順で一番最初。英語で読むと、ARASHIの”A”は、アルファベット順でも一番最初になる。グループの名前通り、アイドルの頂点に立つ」

相葉さんの口から、そう告げられた嵐は華々しくデビューしました。

嵐にもあった、苦難の低迷期

1999年に華々しくデビューしたものの、2000年を過ぎると、目覚ましい活動ができなくなりました。

更に追い討ちをかけるかのように、2002年に、相葉さんが肺気胸を患い入院。ファンとのイベントで再びハワイに飛び立った時も、気力で一緒にハワイに行けはしましたが、相葉さんはイベントには参加できませんでした。

そんな時期。遂にメンバーの一人が言いました。

「今の仕事全部投げないか」

それは、今の数少ない仕事を与えてくれている事務所への反抗ということ。現状に満足できないメンバーが、そう話し出したとき。リーダーの大野さんが、ハッキリと「嫌だ」と言ったそうです。

それまで、メンバーとの話し合いは殆ど拒否などしたことが無かったという大野さん。しかし、そのときだけははっきりと拒否したそうです。

「今、目の前にあることを頑張れない奴が何頑張れんだ」

そのとき、この大野さんの名言が生まれたのです。

そして、大野さんのこの言葉が正しかったことが後に証明されます。

 

嵐の名前を売った「花より男子」

2005年.TBS系列で、松本潤さん主演ドラマ「花より男子」が放送されました。このドラマは、瞬く間に大ヒットドラマになり、のちにシーズン2、映画までもが公開されます。

この作品を通して、松本潤という入口から、嵐のファンが増える最大のきっかけとなったと言ってもいいでしょう。

現在、嵐のファンには多くの「担当」と言われるものが存在しますが、いろいろな担当の人に聞くと、一番最初に好きだったのは松本さんと答える人が多いのも、このことも絡んでいるのではないかと考えられます。

 

5人でいる。ずっといる。

2008年。グループとしてはSMAP、DREAMS COME TRUEに次ぐ三組目となる、国立競技場でのコンサートという快挙を達成しました。

その後、国立競技場が取り壊されると決まる2013年まで、毎年コンサートを行ってきました。

2009年。同じく国立競技場で迎えた、デビュー10周年。記念して発売されたベストアルバムの最後には、「5×10」という曲が収録されました。

 

「ここに立ってる。僕たちが今、輝けるのは君がいるから 5人でいる。ずっといる」

 

曲の中の歌詞の一節です。

ファンに対しての感謝と、10年間、共に歩んできたメンバーへの感謝を、国立競技場で伝えました。

【デビュー秘話】嵐5人のうち、3人がデビューしたくなかった!

嵐としてデビューした5人のうち、3人がデビューしたくなかったというから、驚きです。

そのメンバーは、大野智くん、櫻井翔くん、二宮和也くんの3人でした。

どうしてこの3人はデビューしたくなかったのでしょうか。

 

3人それぞれの思い

大野智くんは伝説のジャニーズジュニアと言われていて、「新人ジュニアは大野の後ろで踊れ」と言われていたそうです。

16歳から2年間、京都で1日5回公演の舞台をやり切り、もう踊りは極めたと思った大野くんは、小さい頃から絵が上手で、イラストレーターになりたくて、ジャニーさんにジャニーズを辞めたいと言っていました。

ジャニーさんはそんな大野くんに、レコーディングの手伝いや舞台に出て欲しいとお願いをして引き留めています。

そしてハワイに行こうと言われて、最後の思い出にハワイに連れて行って貰おうと思って行ったのが嵐のデビュー会見だったというビックリなエピソードでした。

 

櫻井翔くんは、もともと慶応ボーイというおぼっちゃまでありながら、友だちとのノリでジャニーズに履歴書を送ったら合格してしまい、ご両親との約束で無遅刻無欠席で学業との両立を条件にジャニーズジュニアになりました。

慶応大学に進学が決まり、ジャニーズを辞めてお父さんが総務省の官僚だったこともあり、将来の為、学業に専念するつもりだったのです。

 

二宮和也くんは、ジャニーズジュニアの頃から、演技には定評がありましたが、実は裏方の仕事をしたいと勉強の為、アメリカに留学しようと考えていたそうです。

デビューする直前の7月に、バレーボールワールドカップのイメージキャラクターとして、ユニット(櫻井・二宮・松本の3人)を組み歌やダンスの練習をし始めて、このままではデビューさせられるのではと感じた櫻井くんと二宮くんは、ジャニーさんの家に断りのお願いに行きますが、あいにくジャニーさんは不在で、お手伝いさんに書斎に通されたら、テーブルに紙が置いてあって、「嵐」に丸がついていて、ガッカリしたという話を語っています。

今までのグループ名がみんなアルファベットだったので、ふたり曰く「ないわ~」と思ったそうです。

 

奇跡のグループ嵐。

そしてハワイに行く3日前にジャニーさんから「Youパスポート持ってる?」と聞かれてハワイに来た相葉雅紀くん。

持ってなかったら今の嵐は誕生してないかも・・・

そんな嵐5人が今、国民的アイドルになっていることに不思議な縁を感じます。

きっとこの5人だったから、嵐になったと思いますし、誰ひとり欠けても嵐としてここまでこれなかったと思います。

 

まとめ

苦難の低迷期があったからこそ、今の嵐が存在するのだと思います。

現在はジャニーズアイドルのなかで人気絶頂の嵐ですが、5人のうち3人の大野智くん、櫻井翔くん、二宮和也くんがデビューに後ろ向きだったのでした。

そんな5人が嵐として国民的アイドルとなり、不思議な縁を感じます。

これからも、嵐の活躍を期待しています。

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