真島昌利の歌詞から見る名言【~チェインギャング~編】

1980年代~1990年代に活動していた伝説のパンクロックバンド、「ブルーハーツ」。その中でギターとして活躍していた真島さんは、ソロ「真島昌利」としても活動していた。

ソロ「真島昌利」としても「ブルーハーツ」としても、数々の名曲を世に出してきた真島さんの言葉を、現役大学生の立場から見ていく。

真島昌利の歌詞から見る名言~チェインギャング編~

この曲は「ブルーハーツ」の中で、数少ない真島さんが主として歌う曲のひとつだ。

哀愁漂うこの曲は聴く人の心をゆっくりと、しかし確実に掴んでいく。さらに所々で流れる甲本ヒロトさんのブルースハープの音色が、より悲しさを感じさせてくれる。

現代では中々感じることのできないこの哀愁さと、嘆きかけるような言葉はむしろ当時を知らない私からすると新しささえ感じる。

 

一人ぼっちがこわいから ハンパに成長してきた

これは過去、現在関係なく、多くの人が感じていることをたった1行で表したものだと僕は思った。おそらく心の奥底では感じているが、中々表には出てこないことである。

自分の夢や目標または理想の自分になるためには、一人で行動することが大切である。

なぜならそれらは他人のそれとは違うからだ。

しかし中々一人でずっと取り組んでいくことは難しい。それは多少仲間から距離をとることになっても、一人でがんばっていくことだからだ。

それができず、気が付いたら理想の自分ではなく、ハンパに成長した自分になってしまったなんてこともよくあることだ。

特に現代はSNSなどで、いつでも誰かと繋がることができる時代だ。それが原因で、試験や部活に影響してしまった学生も少なくないだろう。僕もその経験をしたことがある。

いつでも誰かと繋がれる現代だからこそ、この言葉は心にグッと伝わってくる。

 

なんだかとても苦しいよ 一人ぼっちでかまわない

僕はここでいつも涙を浮かべそうになる。ただでさえ哀愁漂うこの曲で、このひと言をいわれると自分の涙腺が限界までのぼる。

なんだか生きている日々に感じる苦しさを代弁してくれているようだ。

これは真島さんが歌うからこそ感じるものかもしれない。

僕はカラオケで歌う時(友達からは「何この曲?」と言われるが)、どうしてもこの部分で一番心を込めて歌ってしまう。

 

世界が歪んでいるのは 僕のしわざかもしれない キリストを殺したものは そんな僕の罪のせいだ

僕は最初この2つの言葉を聞いたとき、衝撃が走った。

今まであまり本を読んでこなかった、典型的な現代の若者である僕からすると、ここまで自分の弱さを強調する表現方法があるのかと感じた。

真島さんの歌詞には、文学的と思える表現が多い。

これらはその中でも特に衝撃が走った表現の内の2つである。

 

新しいアーティスト達の曲もすばらしいが、僕が生まれる前の曲もまたすばらしい。

この「チェインギャング」のような渋さや哀愁さは、この時代を生きた真島さんにしか表現できないであろう。

今の若い人達からみたら、古くさい歌だと思われるかもしれない。こんな哀愁さや、渋さはダサいと思われるかもしれない。

しかし同じ若い僕が心打たれたのだから、じっくり味わって聴けば多くの若い人も心打たれることだと僕は思う。

また真島さんの言葉は現代の人達でさえも、心を掴まれるには十分すぎるものだ。

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